明治24年、旭川から網走にいたる中央道路が開通した頃から無加川縁に温泉が出ることは知られていましたが、当時は奥地の昼なお薄暗い大森林であったため、ほとんど顧みられぬまま放任されていました。しかしながら、湯量は相当多く泉質もよい温泉でしたので、明治32年に温泉出願する者が現れ、同年に初代大江與四蔵が無加川の左岸に温泉出願許可を得ました。これが大江本家の始まりであり、大江本家は温根湯温泉の開祖の一つとして知られています。

山形県生まれの大江與四蔵は、嘉永4年2月出生、明治31年8月屯田兵第2中隊員として野付牛に入植、農業に従事しましたが、同33年無加原野20町歩の未開地払い下げを受け、自ら開墾の業に従うかたわら、大光寺直蔵から温泉の権利を譲り受け、以来多額の費用を投入して設備の充実を計りました。当初は交通不便の僻地で入浴客も少なく、経営はすこぶる困難をきわめましたが、将来の大温泉場になることを信じ、不屈の闘魂を燃やして開発に当たりました。大正元年の鉄道開通とともに付近の村落も暫時開発され、徐々に市街がかたち造られ遠近の入浴客も年とともに増加の一途をたどりました。
その後、大江與四蔵の長男左之助が分家して新たな旅館を開業するなど、数件の旅館が開業します。大正9年には旭川第七師団転地療養所として指定を受け、延べ4万5千人の傷病兵が療養するなど、温根湯温泉の旅館は互いに時代情勢に順応した施設を拡充しつつ、温根湯温泉の発展に尽力し、現在に至ります。













